2007/02/01
ふぐの話
どうも、暫く更新をほったらかしてました。 すんません。
なんの前フリも無くふぐの話です。
最近あの猛毒魚をいつ頃から食べだしたのか気になってちょっと調べてみました。
基本的にはwebで情報収集しました。
愚直に「ふぐ 歴史」と。
どこに行ってもそれ以上それ以下の情報が集まらなかったと先ず書かせて下さい。
ウィキペディアや各個人サイトもどこもおんなじ事を書いてました。
●食べ始め
縄文時代の遺跡からふぐの骨が見つかるらしいです。
少数ではなく色々な所でマフグ科の物が見つかっているようで、食べ始めの歴史自体は深いです。
縄文時代なので焼いて食べるのが基本と思うけど、今みたいに綺麗に調理する事が難しい時代だったのでふぐ毒で死んだ人は多かったでしょう。
そう考えると食用だけと考えるのはなんか釈然としません。
そもそも「骨が残っていた」と言う記述があるだけで必ずしも食用であったと言う証拠にはならないのでは? と個人的に思ったり。
政略暗殺とか狩にふぐ毒を使っていた可能性も考えられますが、いかんせんそう言った情報が残っていません。
矢じりにふぐの内臓をすりつぶしたモノを塗りつけて・・・狩の成功率は上がると思うけど、エモノに毒が残るのでは? じゃぁ使えないか。
んじゃやっぱり食用かな?
エジプトの壁画にもふぐを食しているらしいものがあったり、中国の文献には「食べると死ぬ」との記述があるようです。
ふぐ食の始祖は日本だけのものではないようですが、定着したのはこの国だけかな? 韓国でもふぐを食べるらしい。
海外のふぐ食の情報を仕入れることが出来ませんでした。
●長い間のふぐ食禁止
豊臣秀吉が朝鮮へ出兵する時に兵士が立ち寄った下関で、食料難のせいか下関で沢山取れるふぐを内臓ごと食べて集団食中毒になり、
それを聞いた秀吉が怒ってふぐを食べる事を禁じたとあります。
当時は字が読めない人が沢山居たので、立て札にふぐの絵を添えて「この魚食うべからず」としたほどでした。
その後江戸時代、幕末、明治21年まで、ふぐを食べた者は厳刑に処されましたが、食べる人は沢山いました。
そんなこんなでふぐ食は受け継がれていきます。
リスクが高くても止められても旨いものは食うって事ですねぇ。
●ふぐ食の解禁
明治21年に伊藤博文が下関の料亭「春帆楼」(しゅんぱんろう、店は現存しているようです)へ立ち寄った時、シケで魚が捕れなくて
「干し物でどう?」と聞くと伊藤博文は「生じゃないとだめ」と言ったので、女将が厳刑覚悟でふぐ料理を出した所、
こんなに旨いのになんで禁止しているんだ? と、なり。 博文の地元の山口県でのみふぐ食を解禁したそうな。
ま、と言う流れでふぐ食が定着したようです。
なんかツマンネー話になりましたが、なんの落ちも無く終わります。
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