2006/11/07
その判断は誰の為か
こんにちは、CM運営チームの秋人です。
まこと久しぶりではありますが、国際と国内情勢についてニュース解説と言う名の駄文を書き散らかそうと言う訳です。
昨今は、ブログ (もちろん、この記事もブログにアップロードされていますが) などが普及しインターネット参加人口が増えてきた為か、五年前なら許されていたようなテキストが今は非難の的になっています。 (筆者注*1)
それはインターネットと言う情報領域が、従来サイレントマジョリティー (Wikipedia:
サイレント・マジョリティ) と呼ばれていた人々の一部がインターネットに進出したのも大きいでしょう。
インターネットと言う発信自由な情報空間は一種、世論形成に寄与しているという事です。
但し、未だインターネットは二十代~五十代の世論しかくみ上げる事が出来ず、
かつ世論調査等の形で集めたデーターの回答年齢層に広がりが出る事は未だ難しいという点から観ると、
第二のサイレントマジョリティ的な要素があるのかも知れません。
政治的無関心が日本を覆ったのは、学生運動が下火になった一九八〇年代と聞いた事があります。
それまでは、世界は西と東に分かれていて東側の盟主であったソビエト連邦から世界に向けて赤い熱狂……
社会主義によるユートピア的革命願望や、何かが変わる、変わっていく実感から来る変革への渇望が諸国民の心を掴んで離しませんでした。
しかし、八〇年代後半からテクノロジと経済の伸び悩みなどから、特に日本では政治への関心が薄れていきました。つまり、
誰がトップになろうと、どの党が政権を獲得しても変わらない。そんな閉塞感を目の当たりにした我々は今もなお、
冷笑と嘲笑を持って政治を単なるパワーゲームと利権争い、或いはコメディと見なしてしまっているのではないでしょうか。
新世紀が訪れ、五年と言う月日が経ちました。
六十一年と言う長い期間、戦争 「だけ」 は避けてきた日本。いつの間にか、平和を願えば空から降ってくると思い込んでしまった私達。
本当に、本当にそうなんでしょうか?
自民党の代わりに、民主党が・社民党が・公明党が・共産党が政権を取って平和は維持されるのでしょうか。もちろん、
自民党の政治が後六十年間戦禍を被る事のない平和を約束してくれるとは限りません。
そして、同様に他の党が政権を取ったとして。政権党が、平和を維持出来るのでしょうか。
近年、参政権を持った有権者の投票率が下がっています。
データー等を見ると、暫く国政選挙で五〇パーセントを上回った事はないようです。つまり、
そこに百人有権者がいたとして半分以上が意思表示もしないままボケーッとしていることになります。
民主主義政治を維持し、平和を維持する、或いは自らの運命をこの国と共にする…… そう考えた時に、唯一貴方が行使できる武力。
それが投票だという事です。これほど、平和的で効果的であり曲がることのない正義の行使はありません。
幸い、わが国。つまるところ日本は、未だ普通選挙が保たれ、選挙管理委員会が選挙を不正なく管理出来ています。
これは他の発展途上国から見れば、国民にとっても、国家にとっても羨望の的でしかありません。
政情不安定な途上国では、選挙の結果次第で暴動や死者が出るような戦闘行為が起こります。高度な教育と、情報開示、
そして治安の安定と最貧困層が殆ど存在しないわが国は、正に民主主義の土台として一種理想的ですらあります。
しかし、この民主主義も政治的無関心が頂点に達すれば、ムッソリーニやヒトラーを生む事になるのです。故に、日本国憲法 (法庫.com:
日本国憲法) では
「国民に保障する自由及び権利」について、「不断の努力によって、これを保持しなければならない」とあるのです。
だからこそ、娯楽に費やす時間と同じくらい、世界と日本について考えて見ませんか?
とそう言う趣旨で今回もニュースを解説していきましょう。
(長い前置きでした…… f ^ ^;
■ (国際) サッダーム・フセイン元イラク大統領に死刑判決
・ソース記事: フセイン元大統領に死刑判決 イラク高等法廷
・ソースURL: http://www.asahi.com/international/update/1105/005.html
・ソース記事: 元大統領、「復讐法廷」ののしる「占領者の召使だ」
・ソースURL: http://www.asahi.com/international/update/1105/011.html
米国によるイラク戦争が、イラク敗北に終わり、独裁者サッダーム・ フセイン大統領は一転被告人として法廷に引きずり出される事となった。それが既に二年以上も前の話だったことを覚えているだろうか。
容疑は、元大統領が在任中に発生した暗殺未遂事件に関連し、逮捕した住民百四十八人を劣悪な収容環境に置き、
処刑命令を一方的に下したとされる件について「人道に対する罪」の疑いが持たれていた。
イラク高等法院は、元大統領が罪を犯したことを認定し、被告人に対して絞首刑を宣言した…… と言うのが大よその趣旨である。
彼の裁判は、開始された一年以上前から波乱に満ちていた。
米国によるフセイン政権からの開放は、イラク国民が望んだ事ではあったが一方で不安定な治安、
一向に進まない経済復興は社会不安を一方的に増大させ、旧政権支持派や海外から流入してきたテロ屋によって繰り返される小規模殺戮と、
社会不安。
そんな事は誰も望んでいなかった。
いつしか、イラク国民は希望を失っていたのだろう。サッダームが居た頃の治安は良かったが、自由がなかった。ただ、
自由でお腹が膨れる訳でもなければ、米軍が彼等にとっての善き暫定統治者でなかったのも確かだ。
だからこそ、彼等は彼等なりに生き、憤りに耐え切れなくなったものが戦いに逃避し、爆弾で吹き飛ばされた犠牲者達が虚ろな目で空を睨む。
故に、サッダームへの判決には注目が集まっていたのだ。
ある者は、圧政への決別の為に。そしてある者は、いつか見た憧憬の終わりを見届ける為に。そしてある者は、新たな戦いに身を投じる為に。
――少々、芝居じみた文章になったが、おおよそイラク国内に関しては彼の裁判は裁判以上の意味を持っていた。
だが、今回の判決を少々別の角度から見れば、そこにはフセイン被告が叫んだ意味も透けて見えてくる。つまり、「占領者の召使だ」 の部分である。
例えば、米国では中間選挙が近い。
この中間選挙とは、四年毎に行われる大統領選挙の中間あたる年に実施される米連邦議会選挙の事を指す。
ブッシュ大統領が所属する共和党にとって、
未だ収まる気配の見えないイラク関連政策の今までの結果は彼等与党共和党にとって不利な材料になる。大統領をして、
「フセイン大統領を倒せば平和と正義が訪れる」と言い切ったイラクは、宗派・民族間紛争一歩手前の緊迫した情勢下にあり、
さっぱり説得力が無い。
もし、サッダームが死刑になりイラク国内の世論が再び見解の一致を見るようであれば、それは共和党にとって格好の好材料になる。
また、我が日本にてもイラク戦争の是非をネチネチとやられるのは、どうも政権党である自民党にとって具合が悪いのである。
そんな事より、目の前のキチガイである北朝鮮対策、
最近ブイブイと調子を上げて来たのと同時に帝国主義への先祖がえりを起こしかけている中国、そして口やかましい韓国。
これらの北東アジア三ヶ国と付き合う上で最低限必要になってくる、通常抑止力…… もっとも、その通常抑止力とて、憲法改正や防衛省発足、
自衛権に対する解釈と方針、侵略を受けた際の国民保護と安全非難などの諸政策に過ぎない。だが、それらの重要な政策を行うにあたって、
今更イラクがどうだのこうだので、足を引っ張られたくないと言う事情もある。
このような視点で見れば、決してサッダームの言うとおり。かの裁判はどこか恣意的ものを感じざる得ない。 本当に法と正義にのっとった裁判なのかどうか。その判断は後々歴史が下すだろうし、それを見た我々の子や孫が 「よくやったな」 と言うか、 「おいおい、そりゃ理不尽だろ?」 と言うかで価値が決まる事だ。
しかし、我が国における極東軍事裁判 (wikipedia: 極東軍事裁判) の例にもあるとおり、六十数年たった今でも議論が分かれる裁判も確かに存在するのだ。
裁判は、法に基づき裁きを下す。
だが、我々が平和を保つに当たり、その判断が誰の為か。何故、そうなったのかについて常に検証し、自説に対して反論し、
更に反論して見識と良識を鍛えなければならないという事か。
--------------------------------
(筆者注)五年前なら許されていたようなテキストが今は非難の的
一例として挙げられるのは、いわゆる私生活の中の憤りなどを関係者の実名などを添えて書き込む日記やブログの類である。
実際にあった例では、
同人誌イベント会場周辺に出展していたホットドック店の臨時アルバイト店員が書いたイベント参加者に対する蔑視表現が綴られたブログ記事や、
ハンバーガーショップのアルバイト店員が書いた客の悪口を大手SNSであるmixiに書き込み騒動になった例が記憶に新しい。
これらに共通する点として、インターネット黎明期から存在する層ではなく、インターネット利用暦が浅い者。或いは、 社会常識や倫理感に欠けている人間による過剰な情報送出と周辺への過剰パフォーマンス等を挙げる事ができるだろう。
最近発生した同様の事件については下記の記事に詳しい。
J-cast "個人ブログで「悪口」それはもう危険なのだ"-
http://www.j-cast.com/2006/10/09003284.html
コメント