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香田証生氏殺害のテロ組織メンバー 逮捕

 こんにちは、CM運営チームの秋人です。
 カテゴリ、国際・国内情勢では日頃問題意識を何かしら持っている諸兄に、事実と筆者の見解をお伝えする意思を持った一種の報道・ 論説をつづってゆきたいと思います。

 今日は、国際記事と国内記事を別のエントリにして書いて行こうと考えております。

 尚、筆者の記事は明らかな意思を持って書かれた記事であることに注意すべきであり、筆者の論説と反対の意見・ 論説があることを予め断っておきます。
 読者諸兄は、是非本稿末尾にある反対の論説をつづった参考サイトもご覧頂きたい。

■ 国際

■(国際) 香田証生氏 拘束・殺害の男がイラク内務省対テロ部隊により逮捕
・ソース記事:香田さん殺害 拘束の男が自供 「陸自撤退拒否で…」供述
・ソースURL: http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/news/20060302k0000e030014000c.html
・ソース記事:香田さん殺害を自供、アルカイダ系テロ容疑者を起訴
・ソースURL: http://www.asahi.com/international/update/0302/007.html

 2004年。混迷する戦後イラクに一人の青年が降り立った。彼の名は表題にあるように香田証生氏。 ワーキングホリデー先のニュージーランドから、『とりあえず見てみたい(後に挙げるまとめサイトより)』、 『自分探しに(当時の報道より)』、と言う定かではない動機でイラクに向かった。2004年10月末、武装勢力に拘束された彼は殺害された。

 イラクに旅立った日本の民間人(何の活動もしていないという意味)で始めての死者であり、 激しい動揺と論議が当時の日本を覆ったのである。

 彼を拘束した武装勢力は以下の要求を行っていた。

  1. 日本国陸上自衛隊の早期撤退

 この一点のみである。
 身代金などは要求されず、武装勢力と共に流れた彼の声は悲壮感に溢れていた

 同年の四月に、今井・高遠・ 郡山三氏が同じくイラク武装勢力に拘束され交渉の末、 無事に帰ってきてから国内では自己責任論 (注1) が渦巻いていた
 彼は最終的に殺害されてしまった。同情的な声と同じくらい批判の声が募った。遺族に取って見れば静かに冥福を祈りたかったのだろう。 憤りもあったのだろう。
 しかし、時はそれを許さなかった。当時、自己責任論と対極にあった市民団体レベルでの政府抗議行動の神輿として担ぎ上げられてしまったのだ。  

 同年四月の三氏人質事件においては、人質家族がテロリストの大義を見ようによっては擁護し、拘束された責任は政府にあり、 政府の政策変換を迫っていた。その姿は意思を同じくするな市民団体からは支持され、 一方で国際政治に明るい者からは敵対的扇動行為と非難された。

 そのような背景の中、彼の悲劇は弄ばれ、 政治のパワーゲームに利用され続けたのだ。

 この事件そのものを振り返り、筆者の見解は今も昔も変わらない。
 リスクは政府によって生まれたものでは無く、彼の行動によって起こったこと。

 そして、幾ばくかの月日が流れ、容疑者が逮捕されるに至ったのである。

 ――今回本稿は、当時を振り返りつつ、これらの平和活動と危険地域への渡航について、読者に一考を促したい趣旨でつづるものである― ―


 今や、イラクなど市民団体からすれば過去の事となりつつある。それは、地震に伴う津波であり、米国のハリケーン被害であり、 レイテ島の地すべりが彼らの心を掴んで離さない。
 当時、彼の魂を利用し続けた政治活動的な市民団体は、新しい口実を元に政府に対し自称良心の抗議を繰り返し、 政府にそれみよと援助活動を続けている。
 今も内戦の危機にあえぐ、アフガニスタンやイラクに残るのは、本当の活動家とNGO、各国政府の援助隊のみ。

 ソース記事の中で、容疑者とされた男は語る。

「最初は、身代金を奪い開放するつもりだった」
「上層部から、自衛隊撤退の要求を盛り込む様指示された」
「何をしにきたのか分からなかった、スパイだと思った」

 これを持ってして、彼の行動を私はやはり擁護できない。
 しかし、彼の魂の安寧は守られるべきである。
 そして、奇しくも今年陸上自衛隊はイラクから撤退するという。

 当時、政府批判を繰り広げ、自衛隊撤退を叫び、 テロリストは憂国の士であると騒ぎ立てた彼ら出自不肖な市民団体・NGO。テロリストは、テロリストに過ぎなかった。 仮にそれを単なる交戦団体と割り切ったとしても、 国際法に反する事は明確である。

 我々は警戒しなければならない。それは、安易に戦争を叫ぶ指導者と、 安易に平和を叫ぶ勢力である。両者はトランプの裏表に過ぎないと言う事だ。

 2004年に起きた人質事件は、ぬるま湯に浸りきった我々に現実の辛辣さを思い知らせるものだった。 彼の犠牲を繰り返して良い筈がない。

 国際情勢とは、決して一般人と無関係ではない
 遠く異国の地にて果てた若い命に安らかな眠りを。
 読者諸氏には改めて、胸に手を置いて冥福を祈っていただきたい。

 

注釈
注1 自己責任論

 自分の行った行動に関するリスクは、自らが蒙る。また、それによって生じる利益もまた自らに還元される。しかし、 それらについて第三者は責任を取らない。あくまで自分自身でその行動・言動の責を負う概念。
 自由主義社会に置いて、行動に対する考え方の根底をなすものである。

 当時は、未だ政府の政策に異を唱え独自の行動を貫く者たちについても、 最後まで政府が尻拭いをしてくれるだろうと言う安直な思想に対し、一喝を入れる言葉として流行した。
 しかし、良く考えればそれはまったく常識の範疇であった。

参考資料

香田証生さん人質事件まとめ -- 当時の報道や経過、関係者の証言などがある
イラク人質問題の本質 -- 本稿とは反対の立場で書かれた文章集、2004年4月事件について多数のコラムが掲載されている。

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