2006/02/06
改造玩具空気銃規制 / イラン、ウラン濃縮再開へ
こんにちは、CM運営チームの秋人です。
昨今、大きな国政選挙は予定されてはおりません。だからと言って、普段政治や国内・
国際情勢に関心を寄せなければ自身が "こうありたい" と願う時代は永遠に来ないでしょう。その場しのぎ、
単なるインパクトのみで投票してしまうのは避けたいものです。
時事を見る―― それは政治を評価・監視することであり、 同時に世界がどのような方向に向かっているのかを分析することであります。
反戦を掲げるならば、彼ら若しくは我らが闘う理由を理解しなければ争いを止めることなど出来ません。そして不戦を誓うのであれば、 外交での闘いに勝ち続けなければならないのです。それは並大抵の事ではありません。
闘わない為に、血涙を流す慟哭を理解し、寛容に振舞う為に澱みをも愛せるようにならなければ真の平和など到底訪れないと言う事です。
その為には、政治に何の影響も及ぼさず、国際社会に大きな影響も持たず、 極普通の幸せを求める人々が日々の理想の為に生き、発言し、議論し、選挙に行くことです。
このカテゴリでは、そんな平凡で高貴な理想家に日々、両者の視点から情報を分析した記事とわかりやすい解説を心がけます。よろしく。
■ (国内) 警察庁 改造玩具空気銃規制へ―― 方針を示す
ソース記事: 強力改造エアガン、銃刀法で規制へ
ソースURL: http://www.asahi.com/national/update/0206/TKY200602050200.html
エアーガンと聞けば、まず思い浮かぶのが殺傷能力のある空気銃の事であるが、空気銃は日本国内においては銃刀法によって、
免許が無ければ所持できない。
ソース記事で "改造エアガン" と言われているのは、
玩具店などで売られている所謂 "エアーソフトガン"
と呼ばれる主にホビー用途の低圧空気銃のことである。
愛好者は、全国で数万人にのぼる。愛好者間での主な遊戯方法は主に下記に挙げるものである。
- 的を設置し、射撃精度を競うような競技的な遊戯法
- 同じく的を設置し、的ごとに設定された点数を競うダーツ的遊戯法
- 防護面、プロテクタ、厚手の服を着用した上で愛好者同士で模擬戦闘を行うサバイバルゲーム (実施場所は、専用の場所を借りるなど治安や安全に配慮する)
大まか上記のような遊戯形態があり、大人の遊びとして人気があることは事実である。ソース記事には書かれていないが、 これら愛好者は往々にして、社会正義を追及し税金を納め、 地域福祉にも貢献する善良な人々であることは意外に知られていない。
単に彼らはこの玩具銃を使った遊戯が好きなのだ。
しかし、記事にもあるとおり。この愛好者から愛される玩具銃を、畜生にも劣る犯罪に使う輩がいる。それは、 玩具銃市場が拡大するにしたがって現れるリスクの一つだった。 不必要な空気圧に拡張し殺傷能力一歩手前まで持たせた改造銃―― 或いは、 バネの力を高め傷害能力を持つに至る改造銃。
これらの銃の一部が、傷害事件の凶器として使用されたと言うことである。
「なんてことだろう」 そう、愛好者は思ったに違いない。
だが、これらの改造を施す、或いは部品を提供したのは、 一部メーカーである。それは愛好者の更なる欲求を満たす…… 市場経済において需要あるところに供給ありの原則に愚直なまでに素直すぎる選択肢をベンダーは、無差別に提供してしまった。
なぜならば、玩具銃は…… 「おもちゃ」 なのだから、
規制など考えずとも良い。
「おもちゃ」 であるし、使うのは 大 人 だ け だから心配ない。
そのような、暗黙の認識が被害者を生んでしまった。
現状では、18未満に販売が禁止されているが、強化に関わる部品取得や、強力改造銃を購入・
所持する際に身分証の提示や所持登録がされている訳ではないのだ。
今回、警察庁が銃刀法改正案として提出する内容では、メーカー負担でこれらの改造銃をユーザー自身から持ってきてもらい、 威力を規定値まで落とす改造がなされると言う。
この規制について、幼いころ玩具エアガンで狙撃され怪我をしたり、
祭りの際に年端もいかない弟をエアガンで襲われた筆者としては、
感情的には歓迎の意思を示したい。
しかし、一人の社会人として、或いは一人の考える物書きとしては、業界とユーザーの自浄作用に期待したい。
それは、一部の犯罪者の為に多くの善良な愛好者が自由を奪われなければならないのだろう?
と言う疑問と憤りが先立つからに他ならない。
日本は規制社会である。よく言えば、悪いものを徹底的に取り締まると言う事だが、悪く言えば、臭い物に対して蓋を閉めているだけに過ぎない。
本質的な問題点を根気良く解決する努力を放棄している政策であることは明らかだ。
規制の前に、愛好者、地域社会、販売店、メーカーの四者で、何が出来てどうより良い方向へ向かうかを考える方向性を期待したい。
■ (国際) イラン・イスラム共和国 大統領がウラニウム濃縮を指示
ソース記事: イラン大統領、ウラン濃縮を命令
ソースURL: http://www.asahi.com/international/update/0205/007.html
つい先日、国際原子力機関 (略称:IAEA International Atomic Energy Agency) は遂にイランの核開発問題について国際連合安全保障理事会への付託を決めた。
これは、機関が機関による外交的努力を公式に破棄したことを意味する。
一方で、付託には政治的緊張状態が長く続き、紛争に至った場合――
躊躇なく戦術級核兵器が投入される可能性が高いことに国際社会が深い懸念を抱いていることを裏付けている。
IAEAでは、調停案としてイラン国内でのウラン濃縮を停止する代わりに、 ロシア連邦国内施設でウラン濃縮を行い燃料を提供すると言ったものも検討されていた。 しかし、イランは自国内でのウラン濃縮と技術獲得を目指していたため、協議は行き詰まった末の安保理付託となったのである。
イランは、現在軍事目的ではなく、工業程度のウラン濃縮を進める構えである。 対外的にそれは原子力エネルギーの平和利用を謳っている。
しかし、世界は中東に核燃料を自家生産できる国家が増えると言うことは、
緊張状態から一気に核による暴力が加速することを何より恐れているのだ。
これは、中東と言う地域が産油地帯、つまり世界の燃料庫であることに起因する。
一度、安定を失えば紛争が長期化するのが、この地域の特徴でもある。イラン・イスラム共和国は国際社会に対して更なる対話と理解、そして自国の核エネルギー開発がテロリストの手に渡らない事を保障しなければならないだろう。
よく考えれば、国際社会も弱腰になったと筆者は感じる。
1960年代、アメリカとソビエト連邦はキューバ危機を乗り切った。
そして、緊張緩和の中で血も流れたが最後のトリガーは最後まで引かれることなく二大大国時代は終わりを告げたのだ。
1990年代、世界は正義と寛容を持って団結した。すべての怨念を引き受けてまだ戦う用意と意思があった。
2000年から2100年の我々が生きる国際社会は、右手に寛容と理解を、
左手に決断と行動を持って難事に平和をもたらさなければならない。
イスラムと武器を恐れるより、無知と無理解を恐れなければならない。それは、
1900年代に傲慢と利己的な振る舞いが互いに招いた悲劇を正しく理解し、教訓として交渉・
協議を行わなければ人々は再び核のトリガーに指が掛けられると言う恐怖を味わうことになるだろう。
(参 考 資 料)
ソフトエアーガン関連
警視庁: http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/index.htm
警視庁 - モデルガン、エアーソフトガン、古式銃について
URL: http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/seian/kenjyuha/modelgun.htm
Wikipedia -
エアーソフトガン (クリックで解説ページへ)
イラン核開発関連
Wikipedia - イラン・
イスラム共和国 (記事内にある国会の議場が素晴らしい)
在イラン・
イスラム共和国 日本大使館 (公式サイト)
Wikipedia - IAEA
国際原子力機関
Wikipedia -
キューバ危機
国際原子力機関 International Atomic Energy Agency (公式サイト、英語)
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