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作品作りにおける文芸の考え方

最初は「コンテンツ作りにおける文芸の考え方」という内容にしようかとおもってたけど、コンテンツというと売り物に限定してしまうので、「作品」と改めた。
売り物も個人の表現物でもというくくりで、媒体は絵でもゲームでも文芸でも関係なしに、大まかに「作品」としている。

作品つくりをしていていまいちな出来になったり「良いか悪いかどうなのかわからない」という現象に陥ることがわりとある。

こういうときは「なにを主眼とした作品か?」というところにはっきりとした立ち位置がないから、ゴール不明、自己評価不明になってしまう。

自己評価や他者評価はその作品をどうしたいのかで変化する。
ある晩、ギャラリーバーにあった雑誌でヌード絵画の作者による寄稿をみかけて、それが面白かった。

「下手であればあるほど完成度が高い」という価値観で評価していた。

「技術的にここをああしたらかっこいいとか考えたらだめなんです」
「描くときはとにかく気持ちいいところを目指しています。完成時に誰が見ても下手なものが作りたい」
というもの。

この考え方は「その作家の芸術作品」に於いての価値判断基準ではあるけどその根っこは「自分が欲するものにまっすぐ取り組む」という考え方。

僕が今取り組んでるオリジナルIPの作業過程において「自分が持っている情報を雑念なしにまっすぐ出せれば、完成するだろう」と当初考え今実行中なのです。
この根っこにあるのが「作業者が自分しかいないから」だから「企業的な多数で検討に検討を重ねてクリティカルなものを作る」という方法が採れないから、こういう考えをもとに帰結したのです。
つまり、コストがないから自分を100%使い切ることを念頭においた考え方なので偶然といえば偶然なのですが、その考えの着地点として、自分から出るものを小細工なしに形にする。というものつくりの原体験的なものなのです。

人間社会にでれば波にもまれて若いころの角やとげがなくなり丸くなるのです。
初めて絵を描いたときは誰に見せるわけではなく自分が心地よいものを求めていたとおもう。それをやろうというわけです。
大人になるとなかなかそれをやるのが気恥ずかしくなってしまう。

ペンネームを作る。
というのは作者と作品を切り離すことができるので、その気恥ずかしさを乗り越える一助になるとおもう。

すくなからず「これを見た人は僕のことどう思うだろう?」という雑念に悩むことがなくなる。
見る人と作る人の人間関係がなくなると、ストレスの8割が消える。

作品を見るひとも、その作家の内面など気にしないで、「自分がどう感じたか」のその一点にこそ、作品との出会いの価値ではないか。

ゆめゆめ、忘れないようにしたい。
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