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ガンダム無双とコーエーとバンナムから見えてくるPS3戦略

どうも、近藤 みのるです。





唐突に「ガンダム無双とコーエーとバンダイナムコから見えてくるPS3戦略」です。
えらそうな事描いてますが知識と情報に裏付けられた「100%カン」 ですのでそれを踏まえて見て下さい。眉唾ってこった。

この記事はこちらからの転載です↓
http://www16.ocn.ne.jp/~panzrrst/diary/PanzerErst_diary2007_1.htm

先ずガンダム無双から。
こちらを見てちょ→http://gundam-musou.jp/ (別窓です。音でます。公式サイトです。 )

コーエーお得意の無双モノのキャラクタがガンダムに置き換わった物と思ってください。
ドムやザクがわらわら烏合の衆のように寄って来て、 黄色いツノをおっ立てた鉄騎士が光るイチモツでバッタバッタとナニを切り捨てるアクションです。
基本は無双システムなので、言い換えれば、メシアの社の中に仏像が飾ってあるようなものです。
純粋にゲームの企画としては特に旨みが無いのですが、こちらを見ていただければガンダム無双が違って見えると思います。
こちら→http://ps3-gundam.net/  (ガンダム ターゲットインサイト 公式サイト)

ゲームとしての方向性が違うのは見りゃわかるので語りません。 問題はその中身です。
「ガンダ無双」はコーエーが開発に携わっている可能性がある為、 深いところで技術的な提供があったと思われます。
コーエーはPS3向けの開発を結構前から進めているので、技術の蓄積があったと思われます。
PS3が出た当初、コーエーの社長が「CELLたんを飼いならすのはシンドイが、コーエーナメんなよ? あ?」 とPS3発売にエールを送っていたのでかなりの額を投じてPS3向けのエンジンを作っていたと思われます。

ですが実際のところコーエーのPS3タイトルは現在マージャンしか出ていません。  2007年発売のタイトルはほかに競馬シミュレーターがある程度です。 コーエーのキラータイトルとも言える無双シリーズが「ガンダ無双」 だけです。
コレには二種類の答えがあると思われます。
1.無双シリーズは今はオンラインに注力。 無双プレーヤーの興味をそちらへ向けてオンライン事業を安定させる。
2.看板タイトルなので失敗が許されない。 PS3はまだ技術的に不安が残るので技術立証をしてから。

PS3の技術立証の所ですが「ソニー提供のライブラリあるんじゃね?」と突っ込まれますが。  実のところCELLを飼いならす所からスタートするんです、これが。
SCE(ソニーコンピューターエンタテイメント)側が用意するCELLの基本ライブラリはあるかもしれないが、とっても脆弱と思われまする。

その為に各社、マトモなゲームを作るのに悪戦苦闘している訳です。 グランツーリスモを作っているところでさえローンチ(本体同時発売) を見送った程PS3は曲者だのです。
言うならばPS2が冒険の仲間なら、PS3は開発者をスライムと思って突進してくる勇者ロトって所かな。
長期的な飼いならしプログラムを組める会社でなければ、手を出しにくい代物。


さて、所変わってバンダイナムコ(以下バンナム)はロンチにリッジとターゲットインサイトを持ってきていますが。 リッジは兎も角 (グラフィックはまぁマトモだが操作性がボツだな)、ターゲットインサイトは何が悲しかったのか?  背景がサターン風味だった時にはがくっと来ました。
木が、木が十字板ポリって、アァ、エフェクトが板ポリ。
あぁあ、そんなお嬢様。 オイタが過ぎます。 そこまで粗く作って処理落ちは仕様だなんて・・・あんまりですぅっ。 もう、 エレイアはお嬢様に付いて行けません!(誰だ??)

多分PS3の飼いならしに手間取って、予算と期間が劇的にシェイプアップされたんでづがあ゛あ゛あ゛? ぞgな゛バヴァ゛な゛! ゛

上記のように「処理落ちは仕様です。30fps(秒間30コマ描画)出れば今日は大吉です。」って言うバンナム(技術のナムコ) が無双みたいに大量にキャラを描画するモン。 出資側だったら技術立証が無いに等しいので予算を当てられないと思う。
とっ ここでなんらかのコネでバンナムとコーエーがくっ付いたんですね。
無双向けにPS3の技術スキルアップをしたいコーエーと。 PS3でアクション性の高い、 新しいガンダムをリリースしたいバンナムの利害が一致したと思えます。

バンダイが企画。 コーエーがPS3の基本エンジンを提供。 ナムコがグラフィックやプログラムを用意。
って式だと思います。
これでやっとこさガンダムユーザーを牽引する事が出来るのでは? と、言った所。 あとはファイナルファンタジーユーザーかな?
(ガンダムとファイナルファンタジー。この二つが今のところPS3、ドル箱の本命と思われます。後はモブとカルト。)

PS2から比べればトンでもない労力が掛かっています。 コレを退化と呼ぶのか? 進化と呼ぶのか?  純粋に開発側から見れば手を出しにくい。 謎が多いというのもある。 360ならDirectXって枯れたモンがあるし。  Wiiにいたっては中身はゲームキューブなので既存技術でいい。 PS2は、語るまい。

そんなPS3。 なにを考えて作ったんだ?
と言うのも、開発しやすくてクソゲー氾濫でアタリショ~~ック。ってのをハードのハードルで抑えた。ってのと、それは結果論というのと。
PS3は長期的に販売していくハードで、それこそ10年はやっていける(or やって行きたい)。  性能を見るとWiiや360とはダンチなので良くわかると思う。

PS3がよくWiiに負けてると言われるが、そもそもWiiは低価格お茶の間志向、 PS3は高価格ハイエンド映像鑑賞室向けとなっているので単純に売れた数や在庫を抱える数で評価するのは難しい。
売っている店がそもそもPS3買う人が訪れないorそこに売っている高額商品に気を留めない、 ソニーが対象としてた購買層と販売の現場が食い違えば在庫になるわな。

つまり
Wiiは玩具
PS3は嗜好品
このような棲み分けとなると思う。 今まではPS2とGC(ゲームキューブ)はそれぞれこの分野を内包していたので、 市場でバッティングしていた。

ソフトのチョイスもそうだと思う。子供がワクワクするってよりも、 オッサンがワクワクするものの方が今のところPS3のメインストリームになっている。
一方Wiiはみんなでワイワイが主軸となっている(Wiiは露出が多いので、多くを語りません)

そんなこんなで「ガンダム無双」は、「ガンダム」 と言われれば遺伝子が反応してしまう 悲しい 大人をターゲットにしている。  ファーストガンダムをジャケに持ってきてたり、今の子供に通用しないネタを前面に押し出しているプロモムービーやHP (キャラクタ紹介にジオが居る)などから容易に想像できると思います。

ターゲットインサイトやグランツーや競馬シミュレーター、マージャン、6軸対応オンラインフライトアクションFPSなどなど、 子供の玩具ってよりも、大人の玩具って性格が色濃い。

癖のあるCELLを時間掛けて飼いならし、やがては次世代機の代名詞に恥じない物になると思う。
そう、時間を掛けてって所がPS3の考えなんじゃないかな?
Wiiはどちらかと言うとフラッシュゲームに近い。 性能や内部構造が持久戦に向かない。 多分GCがそうだったように、 もうWiiの次世代機を任天堂は企画レベルで動かしてると思う。(360も)

PS3の中身は当てこすったような作り方をしていると思う。 12cmファンが中に入ってんだよ!? 半面、 後々プロセスルールの進化による各チップの小型化、低コスト化、マザーボードのチップ数配置合理化、小型化による生産性向上、 ハードディスクの単価も下降、それによりハードの単価が下がる。 その頃には各パブリッシャーはCELLの飼いならしを済まし、 本腰でコンテンツ開発に取り組む。 相乗して売れマッセ。
と言う公式。 2~3年の内かな。

逆にWiiは最初からマザーボードが限界までキツキツに小さくしているのでプロセスルールの進化によるハードのローコスト化はあまり劇的ではないと思う。
しかもその頃にはユーザー側はリモコンを振り回すには飽きてくると思う。  ここから性能の低さが足を引っ張ってなんともアンニュイになると思われる。 となれば、Wiiコンを使った企画勝負となる。
ま、Wiiはいいや。 スタートダッシュがキマったからなんとかなるべ。

三年ぶりのネット開通

あ~、テステス、マイクテス…
…感度良好っぽいね、OK!
どうも!ICEです。
再び電子世界に舞い戻ってきました。
あ、先に紹介しておきますね。
これから私はこのブログをしていく上で毎回脳内パートナー(私的素敵空間の住人)を一人助手として同席させて行っていきます。
…間が持たないわけじゃないですよ?
今日の脳内パートナーは拡声器の擬人化キャラ「えだを」くんです。

え:おねがしまっす!

I:こら!、勝手にスイッチ入れて喋るなって言ってるだろ!
え:すいません。
I:よろしい。
  で進行よろしく。
え:えぇ~、いきなり投げないでくださいよぉ…、これはあなたが書く  ブログじゃあ…。
I:やらないと後でうめぼs…

え:やらせていただきます!

I:だからゴッド○イス出すなって!
え:ご、ごめんなさい…、ちゃんとやりますから、ア、アレだけは…。
I:わかればよろしい。
  あ、このメモの手順どうりにね。
え:…はぁい。
  えっと、今日は…挨拶だけ?
I:うん。(超ニコヤカ)
え:…
I:あとCMまで三分あるからね~。
  さて、俺はペ○ングの準備でも…。

トポトポトポ…(お湯の効果音)

え:一人だけくつろぎモードだしぃ。(涙)
  え~と、色々あって今までネット環境が整いませんでしたが、これ  からはこのブログをはじめ精力的かつ皆様に満足して頂ける様な…  。
I:何か選挙演説みたいだなぁ…、拡声器だからか?(ボソッと)
え:…(ため息)
  作品作りをしていきたいと考えています。(チラッ)
  なにとぞごひいきにお願いします。(チラチラッ)
I:…疑うような目線でこっちを見ない。
え:ベツニィ…。
I:少々お仕置きが…。
え:あ、そろそろ三分ですね。
  最後の〆、お願いします。
I:くぅ、次はもっと利口なのをつれてきますので、是非見てください  ね!。
え:僕は悪くな…。

ブラックアウト(時間切れ)

つづく…よ?

きっと明日も一人で生きていく

 CM運営チームの秋人です。
 今日の記事は、自サイトの日記を転載します。愚痴です。

 月曜から今日に掛けて、どう言う訳か疲れが溜まってしまって、気を抜いたらその場で寝てしまいそうだ。 クッションフローリングの床に、ばったりとスーツ姿のまま倒れこむのは中々それっぽいが、本当にそうなってしまった場合……  翌朝皺になっただの、やれ寝坊しただのと賑やかになること請け合いだろう。
   対処法として思いついたのは、帰ってきてから汗を流し、一時間だけ仮眠を取ることであった。一時間寝て、 それから夕食を作り一人で食べ、食器を洗い、空いた時間で執筆などを行うのである。今も眠い。
   さて、Webをうろうろしていた時。ふと、高校の卒業式前日を思い出した。
   どいつもこいつも楽しそうな雰囲気を醸し出していると言うのに、 自分一人がえらくアンニュイだった事を覚えている。仲の良かった女友達と、ちょっと長話の一つでもしたかったがそんな事もせず、 またちょっと話に付き合ってくれないか? とも聞かなかった。その辺りどうしてそうしなかったのか記憶にないので、 憶測になってしまうのだが、あの頃自分の中に情熱や他者と関わって行こうと言う意欲が全くなかった。
   一人で生きて、一人で死んで、まぁ? 気楽なもんじゃないか。そんな事を考えていたような気がするし、 孤独は二人で分かち合えないものだとか。
   そして、追憶から現実に帰り、今の自分を見つめなおした。
   新しい仕事に打ち込み、どう考えてもウマの合わない新しく入った同僚に対して、何かと声を掛けている。 誰に対しても、人懐っこく接し、まじめに物事に取り組んでいる、と思う。
   全く馬鹿げている。誰だコイツは、本当に自分なのかえ?
   いつか忘れたが、夢を見たことがある。仕事に真摯に打ち込んで、 好きな人と結婚して良い母親には性別上なれない以上、良い父親であり良い夫になりたい。例え、自分の連れ合いより先に死ぬとしても、 貴方は最高のパートナーだった逝ってしまうのが辛い。そう言われながら死に望む。
   どでかい飴のような、ありふれた幸せは諦めた。本当は、 そういう物が一番欲しいのに叶いはしないと諦めることにした。
   そして、自分と同じ歳の人間が愛し合って同棲なり、結婚なりをしている事。 それを途方もなく偉大な事だと思ったのだ。だから、きっと自分は明日も一人で生きていく。人間は一人で生まれて一人で死ぬ。 いつか誰かの小説に出てきた言葉が、サクリと自分の胸に刺さるのを感じたのだ。

ふぐの話

どうも、暫く更新をほったらかしてました。 すんません。

なんの前フリも無くふぐの話です。
最近あの猛毒魚をいつ頃から食べだしたのか気になってちょっと調べてみました。

基本的にはwebで情報収集しました。
愚直に「ふぐ 歴史」と。
どこに行ってもそれ以上それ以下の情報が集まらなかったと先ず書かせて下さい。  ウィキペディアや各個人サイトもどこもおんなじ事を書いてました。

●食べ始め
縄文時代の遺跡からふぐの骨が見つかるらしいです。  少数ではなく色々な所でマフグ科の物が見つかっているようで、食べ始めの歴史自体は深いです。
縄文時代なので焼いて食べるのが基本と思うけど、今みたいに綺麗に調理する事が難しい時代だったのでふぐ毒で死んだ人は多かったでしょう。

そう考えると食用だけと考えるのはなんか釈然としません。
そもそも「骨が残っていた」と言う記述があるだけで必ずしも食用であったと言う証拠にはならないのでは? と個人的に思ったり。
政略暗殺とか狩にふぐ毒を使っていた可能性も考えられますが、いかんせんそう言った情報が残っていません。
矢じりにふぐの内臓をすりつぶしたモノを塗りつけて・・・狩の成功率は上がると思うけど、エモノに毒が残るのでは? じゃぁ使えないか。
んじゃやっぱり食用かな?

エジプトの壁画にもふぐを食しているらしいものがあったり、中国の文献には「食べると死ぬ」との記述があるようです。
ふぐ食の始祖は日本だけのものではないようですが、定着したのはこの国だけかな? 韓国でもふぐを食べるらしい。
海外のふぐ食の情報を仕入れることが出来ませんでした。

●長い間のふぐ食禁止
豊臣秀吉が朝鮮へ出兵する時に兵士が立ち寄った下関で、食料難のせいか下関で沢山取れるふぐを内臓ごと食べて集団食中毒になり、 それを聞いた秀吉が怒ってふぐを食べる事を禁じたとあります。
当時は字が読めない人が沢山居たので、立て札にふぐの絵を添えて「この魚食うべからず」としたほどでした。

その後江戸時代、幕末、明治21年まで、ふぐを食べた者は厳刑に処されましたが、食べる人は沢山いました。  そんなこんなでふぐ食は受け継がれていきます。
リスクが高くても止められても旨いものは食うって事ですねぇ。

●ふぐ食の解禁
明治21年に伊藤博文が下関の料亭「春帆楼」(しゅんぱんろう、店は現存しているようです)へ立ち寄った時、シケで魚が捕れなくて 「干し物でどう?」と聞くと伊藤博文は「生じゃないとだめ」と言ったので、女将が厳刑覚悟でふぐ料理を出した所、 こんなに旨いのになんで禁止しているんだ? と、なり。 博文の地元の山口県でのみふぐ食を解禁したそうな。


ま、と言う流れでふぐ食が定着したようです。
なんかツマンネー話になりましたが、なんの落ちも無く終わります。

その判断は誰の為か

 こんにちは、CM運営チームの秋人です。
 まこと久しぶりではありますが、国際と国内情勢についてニュース解説と言う名の駄文を書き散らかそうと言う訳です。

 昨今は、ブログ (もちろん、この記事もブログにアップロードされていますが) などが普及しインターネット参加人口が増えてきた為か、五年前なら許されていたようなテキストが今は非難の的になっています。 (筆者注*1)

 それはインターネットと言う情報領域が、従来サイレントマジョリティー (Wikipedia: サイレント・マジョリティ) と呼ばれていた人々の一部がインターネットに進出したのも大きいでしょう。 インターネットと言う発信自由な情報空間は一種、世論形成に寄与しているという事です。
 但し、未だインターネットは二十代~五十代の世論しかくみ上げる事が出来ず、 かつ世論調査等の形で集めたデーターの回答年齢層に広がりが出る事は未だ難しいという点から観ると、 第二のサイレントマジョリティ的な要素があるのかも知れません。

 政治的無関心が日本を覆ったのは、学生運動が下火になった一九八〇年代と聞いた事があります。
 それまでは、世界は西と東に分かれていて東側の盟主であったソビエト連邦から世界に向けて赤い熱狂……  社会主義によるユートピア的革命願望や、何かが変わる、変わっていく実感から来る変革への渇望が諸国民の心を掴んで離しませんでした。
 しかし、八〇年代後半からテクノロジと経済の伸び悩みなどから、特に日本では政治への関心が薄れていきました。つまり、 誰がトップになろうと、どの党が政権を獲得しても変わらない。そんな閉塞感を目の当たりにした我々は今もなお、 冷笑と嘲笑を持って政治を単なるパワーゲームと利権争い、或いはコメディと見なしてしまっているのではないでしょうか。

 新世紀が訪れ、五年と言う月日が経ちました。
 六十一年と言う長い期間、戦争 「だけ」 は避けてきた日本。いつの間にか、平和を願えば空から降ってくると思い込んでしまった私達。

 本当に、本当にそうなんでしょうか?
 自民党の代わりに、民主党が・社民党が・公明党が・共産党が政権を取って平和は維持されるのでしょうか。もちろん、 自民党の政治が後六十年間戦禍を被る事のない平和を約束してくれるとは限りません。


 そして、同様に他の党が政権を取ったとして。政権党が、平和を維持出来るのでしょうか。

 近年、参政権を持った有権者の投票率が下がっています。
 データー等を見ると、暫く国政選挙で五〇パーセントを上回った事はないようです。つまり、 そこに百人有権者がいたとして半分以上が意思表示もしないままボケーッとしていることになります。

 民主主義政治を維持し、平和を維持する、或いは自らの運命をこの国と共にする…… そう考えた時に、唯一貴方が行使できる武力。 それが投票だという事です。これほど、平和的で効果的であり曲がることのない正義の行使はありません。
 幸い、わが国。つまるところ日本は、未だ普通選挙が保たれ、選挙管理委員会が選挙を不正なく管理出来ています。 これは他の発展途上国から見れば、国民にとっても、国家にとっても羨望の的でしかありません。
 政情不安定な途上国では、選挙の結果次第で暴動や死者が出るような戦闘行為が起こります。高度な教育と、情報開示、 そして治安の安定と最貧困層が殆ど存在しないわが国は、正に民主主義の土台として一種理想的ですらあります。
 しかし、この民主主義も政治的無関心が頂点に達すれば、ムッソリーニやヒトラーを生む事になるのです。故に、日本国憲法 (法庫.com: 日本国憲法) では 「国民に保障する自由及び権利」について、「不断の努力によって、これを保持しなければならない」とあるのです。

 だからこそ、娯楽に費やす時間と同じくらい、世界と日本について考えて見ませんか?  とそう言う趣旨で今回もニュースを解説していきましょう。
(長い前置きでした…… f ^ ^;

■ (国際) サッダーム・フセイン元イラク大統領に死刑判決
・ソース記事: フセイン元大統領に死刑判決 イラク高等法廷
・ソースURL: http://www.asahi.com/international/update/1105/005.html
・ソース記事: 元大統領、「復讐法廷」ののしる「占領者の召使だ」
・ソースURL: http://www.asahi.com/international/update/1105/011.html

 米国によるイラク戦争が、イラク敗北に終わり、独裁者サッダーム・ フセイン大統領は一転被告人として法廷に引きずり出される事となった。それが既に二年以上も前の話だったことを覚えているだろうか。

 容疑は、元大統領が在任中に発生した暗殺未遂事件に関連し、逮捕した住民百四十八人を劣悪な収容環境に置き、 処刑命令を一方的に下したとされる件について「人道に対する罪」の疑いが持たれていた。
 イラク高等法院は、元大統領が罪を犯したことを認定し、被告人に対して絞首刑を宣言した…… と言うのが大よその趣旨である。

 彼の裁判は、開始された一年以上前から波乱に満ちていた。
 米国によるフセイン政権からの開放は、イラク国民が望んだ事ではあったが一方で不安定な治安、 一向に進まない経済復興は社会不安を一方的に増大させ、旧政権支持派や海外から流入してきたテロ屋によって繰り返される小規模殺戮と、 社会不安。
 そんな事は誰も望んでいなかった。

 いつしか、イラク国民は希望を失っていたのだろう。サッダームが居た頃の治安は良かったが、自由がなかった。ただ、 自由でお腹が膨れる訳でもなければ、米軍が彼等にとっての善き暫定統治者でなかったのも確かだ。
 だからこそ、彼等は彼等なりに生き、憤りに耐え切れなくなったものが戦いに逃避し、爆弾で吹き飛ばされた犠牲者達が虚ろな目で空を睨む。

 故に、サッダームへの判決には注目が集まっていたのだ。
 ある者は、圧政への決別の為に。そしてある者は、いつか見た憧憬の終わりを見届ける為に。そしてある者は、新たな戦いに身を投じる為に。

 ――少々、芝居じみた文章になったが、おおよそイラク国内に関しては彼の裁判は裁判以上の意味を持っていた。

 だが、今回の判決を少々別の角度から見れば、そこにはフセイン被告が叫んだ意味も透けて見えてくる。つまり、「占領者の召使だ」 の部分である。

 例えば、米国では中間選挙が近い。
 この中間選挙とは、四年毎に行われる大統領選挙の中間あたる年に実施される米連邦議会選挙の事を指す。

 ブッシュ大統領が所属する共和党にとって、 未だ収まる気配の見えないイラク関連政策の今までの結果は彼等与党共和党にとって不利な材料になる。大統領をして、 「フセイン大統領を倒せば平和と正義が訪れる」と言い切ったイラクは、宗派・民族間紛争一歩手前の緊迫した情勢下にあり、 さっぱり説得力が無い。
 もし、サッダームが死刑になりイラク国内の世論が再び見解の一致を見るようであれば、それは共和党にとって格好の好材料になる。

 また、我が日本にてもイラク戦争の是非をネチネチとやられるのは、どうも政権党である自民党にとって具合が悪いのである。 そんな事より、目の前のキチガイである北朝鮮対策、 最近ブイブイと調子を上げて来たのと同時に帝国主義への先祖がえりを起こしかけている中国、そして口やかましい韓国。
 これらの北東アジア三ヶ国と付き合う上で最低限必要になってくる、通常抑止力…… もっとも、その通常抑止力とて、憲法改正や防衛省発足、 自衛権に対する解釈と方針、侵略を受けた際の国民保護と安全非難などの諸政策に過ぎない。だが、それらの重要な政策を行うにあたって、 今更イラクがどうだのこうだので、足を引っ張られたくないと言う事情もある。

 このような視点で見れば、決してサッダームの言うとおり。かの裁判はどこか恣意的ものを感じざる得ない。 本当に法と正義にのっとった裁判なのかどうか。その判断は後々歴史が下すだろうし、それを見た我々の子や孫が 「よくやったな」 と言うか、 「おいおい、そりゃ理不尽だろ?」 と言うかで価値が決まる事だ。

 しかし、我が国における極東軍事裁判 (wikipedia: 極東軍事裁判) の例にもあるとおり、六十数年たった今でも議論が分かれる裁判も確かに存在するのだ。

 裁判は、法に基づき裁きを下す。
 だが、我々が平和を保つに当たり、その判断が誰の為か。何故、そうなったのかについて常に検証し、自説に対して反論し、 更に反論して見識と良識を鍛えなければならないという事か。

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(筆者注)五年前なら許されていたようなテキストが今は非難の的

 一例として挙げられるのは、いわゆる私生活の中の憤りなどを関係者の実名などを添えて書き込む日記やブログの類である。
 実際にあった例では、 同人誌イベント会場周辺に出展していたホットドック店の臨時アルバイト店員が書いたイベント参加者に対する蔑視表現が綴られたブログ記事や、 ハンバーガーショップのアルバイト店員が書いた客の悪口を大手SNSであるmixiに書き込み騒動になった例が記憶に新しい。

 これらに共通する点として、インターネット黎明期から存在する層ではなく、インターネット利用暦が浅い者。或いは、 社会常識や倫理感に欠けている人間による過剰な情報送出と周辺への過剰パフォーマンス等を挙げる事ができるだろう。

 最近発生した同様の事件については下記の記事に詳しい。


J-cast "個人ブログで「悪口」それはもう危険なのだ"-
http://www.j-cast.com/2006/10/09003284.html